電池の誕生

 電池の発見はカエルの足の実験で有名なガルバニ電池からヒントを得て発明されたボルタ電池が最初の電池だと言われています。18世紀末のことです。

 ところが、「バグダッド電池」と呼ばれる正体不明の考古遺物が存在します。1930年代にイラクのバグダッドで発見されたため、地名から命名されています。製作されたのは、紀元前250年頃であるという説もあれば4~6世紀という説もあるようです。メソポタミア文明の中で生まれた可能性も大です。

 この遺物の用途については色々な説があり、電池だという説とそうではないという説があり、結論が出ていないようです。私自身も現物を見た訳でもなく、研究をした訳でもないので科学的な見解は全く持ち合わせていません。イラストを作成して見ましたので参考にしてください。ネット検索すると写真等も直ぐに見つかります。壺の役割が全く想像できません。

 再現実験をした人も多く、電池として機能したようです。構成的には電池であっても全く不思議はないと思います。電池と断定できない理由が、電圧が低いとか大きな電流が取り出せないということのようですが、電圧と電流は直並列接続でクリアできます。用途が不明であることも断定できない理由の一つのようです。この時代には金メッキの装飾品は多く存在しており、金メッキに使用された可能性はあるのではないかと思います。化学メッキ等の方法でも金メッキはできますが、当時どちらが簡単であったのかは想像できません。

 他には呪文を書いたパピルスを鉄の芯に巻いて銅製の筒に収め、更に陶器の壺に収納してアスファルトで封をしたという説があります。金属製の筒に入れて保護することは想像できても、芯に鉄の棒を使う必要性には非常に疑問を感じます。

 紀元前250年というと日本では弥生時代に相当します。弥生土器という土器もあり、銅鐸(最近、淡路でも発見されて話題となっています)に代表される青銅器も鉄製の農具も存在していました。こんな時代に中東では電池が使われていたとするとロマンを感じずにはいられません。真偽は闇に包まれたままでもいいと思いますが、「バグダッド電池」という名前は今後も引き継がれて欲しいものです。

 さて、公式な電池の誕生が1800年前後だとして、電気はそれより前にクーロンがその存在を発見しており、クーロンの法則として今も引き継がれています。C(クーロン)として電荷の単位として今も存在感を示しています。

 発電機(ダイナモ)の登場は電池が登場してから更に30年程後のことになります。

 また、蒸気機関は電池の発明から遡ること30年余り前に、仕事率や電力の単位にもなっているワットによって発明されていますが、内燃機関(ICE)は蒸気機関の発明から約100年を経た1860年頃(ペリー来航より後)に発明されています。

 1800年頃の日本はというと伊能忠敬が日本各地の測量を始めた頃です。今日、我々の生活に電気はなくてはならないものとなっていますが、歴史はまだ200年前後とそれほど長くなく、日本地図の歴史と同程度ということになります。この電気の発見が色々な技術の進歩を急激に加速させることになったのではないでしょうか。

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