さよならモデルS 第2回 ~TESLAとの出会い~

 詳細は開示できませんが、もう時効の部分もあるので差し障りのない範囲でお話ししましょう。TESLAとの出会いは前職時代の2005年だったと思います。突然、USAの営業を通じてMTGの依頼が舞い込んで来たのです。当時、TESLAのことを認知していた人は日本に何人居たでしょうか。新規事業開拓を担当していたので、私のところに相談が来たのだと思います。一応話は聞きますと回答したら、早速に共同設立者兼最高技術責任者のJ氏と日本語が話せる元P社のK氏が来日して来ました。(因みにこの時に来場した2人は既にTESLAを去ってしまいました/残念です)当時、マスク氏は有力出資者の一人でしたが、まだ要職には就いていませんでした。発売開始段階ではトップに立っていました。

 彼らから話を聞いて見ると、主にPCに使われていた18650を供給して欲しいとのことでした。EVロードスターに何と7,000セルを搭載したいと平然と言うのでした。最初に聞いた際は、「この人達は正気か?」と思いましたが、詳しく話を聞いて行くと、よく考えられていました。当然、即答できる様な内容ではありませんでしたが、前向きに検討することでその場は終えました。余りにもインパクトの大きな内容でしたので、事業のトップに話をして検討することの事前確認をしておきました。Palo AltoのTESLA本社の場所は変わっていませんが、当時は会社版バックヤードガレージという雰囲気でした。何度か打ち合わせを行った結果、電池を供給することに決めました。量産出荷までには紆余曲折があり、最終段階では日本の某大手自動車メーカからの会社上層部を通じた圧力もありましたが、パック工程を監査(本来立場的には逆)に行って問題のないことを確認するということで出荷に漕ぎ付けることができました。

 最近、ネットを検索していたら、TESLAがSEC(アメリカ証券取引委員会)に提出した”Supply Agreement”を発見しました。こんなものが公開されていいのかと驚き、知人を通じて調べてもらった結果、これは合法であり、逆に要請があれば提出しなければならないとのことでした。価格等の秘密情報は伏せられていますが、署名者も記載されており、何と私のサインもありました。私自身、何故自分が署名するに至ったのかという経緯も、実際にサインしたことも覚えていませんでした。恐らく先方訪問時に署名が必要になったのではないかと想像します。2007年2月1日付の資料でした。

 ロードスターは2008年に限定発売され、日本にも入ってきています。予約受付当初は車両価格の全額を前払いする必要があり、投資の様な案件だった様に思います。近くの知人が何と2台も保有しており、数年前にイベントで1台をお借りして走行しました。約10年を経過していましたが、満充電で400㎞程度の走行が可能でした。ロータスエリーゼベースの車体は今も新鮮で注目度抜群です。

 ロードスターはデビュー作戦として、USAで西海岸から東海岸までソーラー発電で充電しながら横断するというキャンペーンが計画されましたが、残念ながら実現はしませんでしたが、アイデアは斬新でした。

 ニッチマーケットにターゲットを絞った限定発売という戦略とメディアを利用した取材対応による露出作戦で、環境や自動車業界でTESLAはそれなりに名の知れる会社となり、資金集めや優秀な技術者の採用に有利な環境が整ったのではないかと思います。とは言え、モデルSの登場まではまだまだ時間があり、世間一般には知られておらず、ステラとかテラスとか勘違いする人達も多く見られた時代です。

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