2015年の12月、出張で大阪へ向かう途中のことでした。明石海峡大橋を渡り切って、長さ約3,300mの舞子トンネルに入ります。阪神高速3号線に渋滞があったため、垂水JCTに行くか7号線に進むかを迷っており3車線の中央を走行していましたが、JCTまで1kmを切った当りで7号線に行くことを決断し、前を走行していたトラックを追い越すためアクセルを踏み込みながら右車線に出たのですが車が加速しません。変だと思い直ぐに左車線に戻り、JCTまで惰性で何とか辿り着きました。走行していた場所は登勾配でしたが、アクセルを踏み込むまでは失速することもなく、明らかに正常でした。右に寄る際にもショックや異常音もなく、右足の感覚と加速の違いに違和感があっただけでした。JCTに逸れる車線までは登りが継続し、失速しながらも何とか車線変更ができ下り勾配に辿り着けました。不運なのか、悪運が強いのか兎に角事故等に発展せず、無事でよかったです。JCTのゲート手前に駐車スペースがあったので、そこに車を止めて状況を確認することに。DでもRでも車はピクリともせず、異音は無いものの、アクセルを踏むとモータが回転している様な音だけは聞こえました。
朝早かったので、TESLAとは連絡が取れず、取り敢えず車検をお願いした整備会社に連絡して積車で運んでもらうことにしました。
TESLA JAPANと連絡が取れ修理することになりましたが、相模原まで積車で運んでもらい見積もりを取ることになりました。どこが壊れているかの詳細は解析できないとのことでモータ/インバータ/デフのAssy交換になり、USA仕様で保証対象外ということもあり、驚くほどの高額でした。USAに送り返すより高額な価格でした。モータが焼けた訳でもなく、小さな故障の様にも思えましたが、交渉しても日本のエンジニアは詳細が判らないので、まとめて交換する以外の選択肢はありませんでした。最近の家電と同じです。
部品調達に何ヶ月も要してAssyの交換が終わってもモータが動かないというか、モータを交換したことをメインコンピュータに入力する必要があったらしいですが、USA仕様でこれも判らないとのことで、本国ともやり取りした様でしたが最終的にはメインコンピュータの入ったセンターパネルも交換ということになってしまいました。
修理代金で軽の新車が買えるレベルになってしまいました。元のモータとパネルは返して欲しいと要望したのですが、これがすんなりとはいかず、返ってきたのは車体が返ってきて暫くしてからでした。不良となったモータと、普段見ることのできないセンターパネルの裏側の写真を添付します。
モータも復活し技術的な課題はクリアしましたが、今度は再度車検の問題に発展してしまいました。モータを載せ替えたので改造申請が必要であるということになったのです。純正のモータに載せ替えたのにどうして改造なのか?色々と確認してもらいましたが初回の車検時にモータに刻印を打ったらしく、この刻印が無くなってしまうということが問題であった様でした。横浜の陸自は問題ないとの見解であったものの、登録地である神戸の陸自がOKを出さなかった様です。車検は3ヶ月程残っていたのですが、この影響で5月が車検日となってしまったのです。
混血児となってしまったモデルS、表示も変更され日本語表示も可能となりましたが完璧ではなく、普段は英語表記としています。FMが聞ける様になったかと思いきやこれはダメでした。オドメータはそのままですが、初期段階から残していたトリップメータがリセットされてしまいました。
バックの際に白色のガイドラインが出る様になり、ステアリングに合わせてラインも曲がる様になり便利になりました。が、このガイドを信じてバックしていたら、リアフェンダーを擦ってしまいました。何とガイドは車幅より狭かったのです。無い方がよかった。
このモータ(?)故障・交換事件は車両にとっても、精神的にも、金銭的にも最大の問題でした。
次の17回はマイナーではない課題をまとめ、次々回の第18回を最終回として車検切までをまとめたいと思います。